永源寺ものがたり

 

永源寺ダムの底には、かって素晴らしい”村”があり、そしてその”村”を愛する人々が平安に暮らしておりました。

ただ一軒残ったこの”焼肉料理屋 南山 本店の「永源寺館」が、ダムに沈んだ村の生き証人として、この物語を末永く伝え続けております。

 

南山本店の建物は、滋賀県永源寺ダムに沈む運命にあった築200年の農家「河合家」を移築したものです。

昭和21年に、ダム建設計画が持ちあがって以来、この農家の持ち主「河合庄兵衛」さんら住民による命がけの反対運動が繰り広げられましたが、歴史と伝統ある美しい村は、昭和47年に水没、永遠にその姿を消しました。


河合家全景

水没前の村全景
当店の創業者 孫 時英は、水没直前のこの村の美しいたたずまいを描いておられた加藤松林人画伯の紹介で河合庄兵衛さんと出会い、「オレはまだ生きられる!」というこの建物の大黒柱の叫び声を聞き、昭和46年11月にこの地へ移築してレストランとして蘇らせました。

この建物の移築に際しては、こんなことがありました。移築準備のために解体していたところへ、昭和46年8月の台風23号発生によって大事な部材は全部流されてしまいました。ところが、この洪水で水没した若宮八幡神社の大杉に”まるで花が咲いたかのように”すべての部材が引っかかっており、無事に移築することができたのです。なんとも不思議な奇跡のような出来事でした。

河合庄兵衛さんは、村の中心であったこの若宮八幡神社の発行された「ふる里の記」の編集をされ、そこに村の歴史・ダム計画との戦いの歴史を克明に記録されましたが、その編集後記では、次のように記されています。

過ぎ去った村を静かに顧みる時、村の歴史の一つ一つは祖先感涙の偉業であり、これを偲び 心に深く打たれ、禁じ得ないものがあり、所詮は村の宿命と解する外なく、何か云いようもなくせまる空しさは、哀愁身にしみるものを覚えます。

不思議な生命力を持って生き長らえたこの建物を、水没した美しい村のただ1軒の生き証人として、今後も末永く大切に守っていきたいと思っております。

株式会社 きたやま南山
スタッフ一同

■永源寺と南山をつないだ加藤松林人画伯のこと

加藤松林人画伯は、徳島県阿南市内原町の出身で、1918(大正7)年、20歳のときに父の事業の関係で、京城(現在のソウル)に移り、清水東雲(四条円山派の森寛斎門下)に東洋画の手ほどきを受けました。精進を重ねて朝鮮画壇で不動の地位を築きあげ、朝鮮王室で、絵の進講・指導をするなど朝鮮美術界の中心的存在となりましたが、戦後、日本に帰国後は、画壇活動には復帰せず、親善活動と美術交流に努められ、1983(昭和58)年2月14日、滋賀県大津市で逝去。享年84歳でした。

*創業者孫時英は、故加藤松林人画伯との親交が深く、加藤画伯の描かれた永源寺村の風景画と、 画文集「朝鮮の美しさ」の原画は、 南山の本店に常時展示しております。

 
■以下は、創業者孫時英とダムに沈んだ村の方々との交流の記録です。

(1991年11月21日付け 朝日新聞より)
湖底の村 ただ懐かしく
ダム建設で沈んだ滋賀・永源寺
 ダムの建設で集落が丸ごと湖底に沈んだ滋賀県・永源寺町佐目の元住民13人が20日、 京都北山通のレストランに招待された。このレストランは、水没予定地に最後まで残って いた農家を、経営者が人づてに聞いて譲り受け、開いた。住民たちは20年ぶりに、故郷 のにおいがする大黒柱をなで、天井を眺めた。
家を移築し開いた店が13人を招待 〜京都〜

 開店20年を記念して、住民を招いたのは、北山通に焼肉レストラン「南山」を構える孫時英さん(65)。

 佐目地区は、56戸の集落。1972年に完成したかんがい用の永源寺ダムの建設で、周辺の集落とともに水没した。

 孫さんは店に来た知人の画家から「今、水没する村の絵を描いている」という話を聞いた。翌日、現地を訪ね、ただひとつ残っていた河合庄兵衛さん(65)の家を譲り受けて店を開いた。

 「農家レストラン」という物珍しさもあって、開店直後から人気が集まり、今では全国に30数社に持つまでに事業は拡大した。

 この日、孫さんは「水没しようとする家の大黒柱に触ったとき『おれはまだ生きられる』と叫ぶ声が聞こえた気がした」とあいさつ。元住民を代表して、河合さんが「村は失われたが、この家がこんなに大勢の人に利用されているのはありがたいこと。末永く大事にして下さい」と答えた。

 20年を記念してレストラン入り口には「永源寺館」の看板が掛けられた。その横には「この家と共にあった平安なたたずまいは永遠にその姿を消しました」と由来が書かれている。

 

(1991年11月21日付け 京都新聞より)
ダム建設で移築し20年
左京のレストランで記念セミナー 旧町民も参加

 滋賀県の永源寺ダム建設の際、湖底に沈む運命にあった旧家が左京区下鴨にレストランとして移築されてから20年目を迎えるが、20日、その開業20周年を記念する「人間大学共生セミナー」が同館で開かれた。

 永源寺ダムは同町一帯の水源地確保のため、昭和30年に着工、47年に堰(えん)堤が完成し、同町集落の一部が水没した。水没直前に、たまたま同町の旧家を訪れたレストラン南山グループ会長孫 時英さん(65)が事情を聞き、筑後200年も経つこの文化財と何とか保存したいと、現在のレストラン南山・永源寺館として移築。その時の意識改革がもとになって、当時苦しかった経営状況が好転するきっかけになったという。

 この日のセミナーで講演に立った孫さんは、「当時、経営の建て直しばかり考えていた外国人の私に、日本文化を大切にしたい、との素朴な感情が芽生え、それが現在の成功につながった。目先の経営技術より人と人との出会いの大切さを重視する方針は今も経営姿勢の基礎においている」と体験で得た教訓を強調した。

 同セミナーにはダム水没下の旧町民数人も参加。20年前に旧家を手放した河合庄兵衛さんが、当時のダム建設の様子や村の反対運動などについて感慨深げに語っていた。